2016年01月11日
2015年関西旅行(5) 金剛峯寺は今年で開創1200年!
2015年関西旅行(4)からのつづき
先に奥の院に行って、戻ってくる形で金剛峯寺に来ました。
結果的に、これが正解でした。
混雑時には、途中のバス停から乗れないことがあるので、下のようなルートで巡るのが良さそうです。
高野山駅→奥の院口→(奥の院参拝)→奥の院前→千手院橋(または金剛峯寺前)
逆ルートにする場合、金剛峯寺前からのバスに乗れれば良いのですが、本数が少なめです。
高野山駅から来るバスに千手院橋から乗ろうとすると、満員で乗れない可能性があります。
同じ理由で、奥の院前から奥の院に参拝し、一の橋口(奥の院口は高野山・金剛峯寺方面のバスはあまり通りません)からバスに乗ろうとすると奥の院前から満員になっているおそれがあります。
(私たちは何とか乗れましたが)
また、本来の参道は奥の院口で降りて、一の橋を渡っていくルートだそうですので、多少距離は延びますが行きはこちらからお参りした方が多くの供養塔が見られます。
さて、一の橋口からほぼ満員のバスに乗って、千手院橋バス停で降りて金剛峰寺にやってきました!
さすがにシルバーウィークは、バスも駐車場も大混雑です。
先に奥の院に行って、戻ってくる形で金剛峯寺に来ました。
結果的に、これが正解でした。
混雑時には、途中のバス停から乗れないことがあるので、下のようなルートで巡るのが良さそうです。
高野山駅→奥の院口→(奥の院参拝)→奥の院前→千手院橋(または金剛峯寺前)
逆ルートにする場合、金剛峯寺前からのバスに乗れれば良いのですが、本数が少なめです。
高野山駅から来るバスに千手院橋から乗ろうとすると、満員で乗れない可能性があります。
同じ理由で、奥の院前から奥の院に参拝し、一の橋口(奥の院口は高野山・金剛峯寺方面のバスはあまり通りません)からバスに乗ろうとすると奥の院前から満員になっているおそれがあります。
(私たちは何とか乗れましたが)
また、本来の参道は奥の院口で降りて、一の橋を渡っていくルートだそうですので、多少距離は延びますが行きはこちらからお参りした方が多くの供養塔が見られます。
さて、一の橋口からほぼ満員のバスに乗って、千手院橋バス停で降りて金剛峰寺にやってきました!
さすがにシルバーウィークは、バスも駐車場も大混雑です。
高野山真言宗総本山金剛峯寺は、弘仁7年(816年)に空海が開創しました。
弘仁年間といえば、平安時代の初期、嵯峨天皇の時代です。
この正門は、かつて天皇・皇族、高野山の重職だけしか通ることが許されなかったそうです。
(参考:高野山金剛峯寺公式サイト)
また、この正門が金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されたものだそうです。
逆に言うと、開創1200年の金剛峯寺ですが、火災などに遭って最古の建物でも400年強のものしか残っていないわけです。
石造りの建物と違って、木造の建物の弱点ですね。
本殿は西暦1863年(文久3年)に再建されたものだそうで、威厳のある建物ですね。
主殿の中を拝観していくと、奥の方には「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」と呼ばれる大きな石庭があります。
すごく古いものかと思ったら、何と昭和59(1984)年に造られたものだそうです。
雲海の中で、雄雌一対の龍が向かい合って、奥に見える本山奥殿を守護する龍の姿が表現されているのだそうです。
そう思って眺めるとそのように見えるような気がしてきます。
もっとも、そんな意図を知らなかったとしても、落ち着く庭ではあることには変わりありません。
高野山にも、何とゆるキャラがいました。
その名も「こうやくん」!
ブログもやっていて、ツイッターアカウントも持っていますよ!(2年以上つぶやいてないけど…。)
もちろん、記念写真を撮って帰りました。
こうやくんグッズも売っています。
うーむ、真言密教の大本山の割には、妙に俗っぽいですね。
親しみやすくて良いですけど。
奥の院も主殿もゆっくり見過ぎて、高野山が開創されて真っ先に整備されたという「壇上伽藍」に行く時間がなくなってきてしまいました。
もう夕方5時になろうとしています。
何とか、高野山のシンボル「根本大塔」まで来た!と思ったら、これではありませんでした。
これは「東塔」でした。(まぎらわしい)
しかし、何と高野山金剛峯寺の公式サイトですら、東塔の写真を入れるべきところに根本大塔の写真が入っていますね…。
きっと、よく間違えられるんだと思っておくことにしましょう。
(金剛峯寺には、メールで連絡しておきました。)
この東塔は、あまり古そうに見えないなと思って、調べてみると昭和59(1984)年に再建されたものだそうで、その140年前に焼失したままだったそうです。
高野山のシンボル、「根本大塔」は東塔の少し先にありました。
この角度で見ると、かなりの迫力ですね。
先ほどの東塔と比べても、一段と大きいです。
1200年前もこの姿だったのかどうかはわかりませんが、これだけの大規模な建造物をこんな山奥に造った技術力は素晴らしいと思います。
現在の大塔は、昭和12(1937)年に再建されたもので、高さ約48.5m、幅約23.5mの鉄筋コンクリート造りです。
白い部分がコンクリートっぽいですね。
昭和の初めまで何度も大火に遭ったので、木造に懲りてコンクリート造りで再建したのでしょう。
こちらが金堂です。高野山総本堂としての役割があるそうです。
金剛峯寺と呼ぶ時に、現在ではこの金堂や大塔を中心とした壇上伽藍や主殿などを持つ1つの寺を指すことが多いようですが、もともとは高野山全体が金剛峰寺ということだそうです。
この金堂もまた昭和元(1926)年に全焼し、昭和7(1932)年に鉄骨鉄筋コンクリートで再建されたものです。
でも、こちらの建物はあまりコンクリートっぽくないですね。
パッと見は完全に木造のイメージです。
関西近代建築の父といわれる武田五一が設計したそうですが、近代的な設計で伝統的な建物を建てたんですね。
7度目の再建ということで、8度目の再建が無いように末永く無事に使われて欲しいところです。
こちらの中門(ちゅうもん)も、何やら新しい感じですが、それも当然。
完成したのは何と2015年、この開創1200年を記念して170年ぶりに再建されたのだそうです。
170年前というと、まだ江戸時代末期。
この時に、落雷による大火があったそうです。
つまり、近代日本は中門の無い壇上伽藍しか知らなかったわけです。
歴史の長い高野山ですが、壇上伽藍の建造物は意外と新しいものばかりで驚きました。
建物が新しくても、ここに伝わる文化は歴史あるものですけどね。
駆け足でしたが、何とか壇上伽藍をひととおり見られて良かったと、ホッとしました。
さて、壇上伽藍の傍から通りに出ると、高野山高校や宿坊が建ち並ぶ静かな通りでした。
こんな山の中に1200年も前に大きなお寺を建てたことに驚きます。
通りを歩いていくと、宿坊がずらっと立ち並んでいます。
こちらは、総持院という宿坊です。宿坊もそれぞれ独立したお寺になっているようですね。
調べてみると、1泊2食1万円前後で泊まることができるようです。
次に来る時には、ぜひこういった宿坊に泊まって、精進料理を味わいたいところです。
(シルバーウィークで全く予約が取れませんでしたので…。)
バスが高野山駅に着いてから、預けていた荷物を引き取ったり、子どもがトイレに行ったりしているうちに、ケーブルカーが1本行ってしまったので、ちょっと時間ができてしまいました。
高野山駅の2階はケーブルカーや南海高野線に関する展示施設になっていたので、上がってみました。
駅前広場と反対側を見ると、高野山がかなり高いところにあることがわかります。
レトロな窓枠が歴史を感じさせますね。
子どもに付き合ってゆっくり廻ったので、もう夕暮れです。
きれいな夕空でした。
バリアフリー対応で後付けされた、エレベーターの塔屋も寺院風なのがユニークですね。
まわりの建物にマッチしたデザインです。
もう18時過ぎなので、ケーブルカーは行きほどには混んでいません。
ちょっとゆっくりし過ぎましたね。
名残惜しいですが、高野山を後にします。
また、人が少ない時にゆっくり来てみたいですね。
(6)へ続く
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Posted by Science_City at 08:37│Comments(0)│関西
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