2019年04月01日
JR北海道夕張支線よ、さようなら!
JR北海道石勝線の通称「夕張支線」が3/31限りで運行を終了し、4/1に廃止になりました。

私が夕張支線に乗ったのは1度だけで、もう25年前の学生時代でした。
正直なところ、あまり印象の無い路線でした。
感じたのは、昔に多くの炭鉱が無かったら、夕張まで鉄道が延びていないだろうなということでした。
まだデジカメの普及していない時代でフィルムカメラなので、夕張支線の写真はわずか4枚しかなく、夕張駅の写真は2枚しかありません。
駅舎の左側に写っている建物はホテルマウントレースイです。
ローカル線の終点に似つかわしくない巨大な建物で、いかにもバブルの産物だなという感じです。
実際、このホテルを建てた松下興産(松下電器グループの不動産会社)はバブル崩壊後に倒産しており、夕張市による買い戻し、夕張市の財政破綻による加森観光の所有を経て、今は中国資本の所有・運営になっています。
このような経緯も夕張支線の運命を象徴しているように思えてしまいます。

私が夕張支線に乗ったのは1度だけで、もう25年前の学生時代でした。
正直なところ、あまり印象の無い路線でした。
感じたのは、昔に多くの炭鉱が無かったら、夕張まで鉄道が延びていないだろうなということでした。
まだデジカメの普及していない時代でフィルムカメラなので、夕張支線の写真はわずか4枚しかなく、夕張駅の写真は2枚しかありません。
駅舎の左側に写っている建物はホテルマウントレースイです。
ローカル線の終点に似つかわしくない巨大な建物で、いかにもバブルの産物だなという感じです。
実際、このホテルを建てた松下興産(松下電器グループの不動産会社)はバブル崩壊後に倒産しており、夕張市による買い戻し、夕張市の財政破綻による加森観光の所有を経て、今は中国資本の所有・運営になっています。
このような経緯も夕張支線の運命を象徴しているように思えてしまいます。

夕張駅訪問時はこの場所への移転の4年後だったこともあり、まだ路線短縮の跡がはっきりとわかる状態でした。
この時点では廃線跡がそのまま自転車道になっていますが、今では手前を横切る道路は付け替えられ、奥の方にはセイコーマートができているようです。
道路が切り替わっているため、上の写真の撮影場所とストリートビューは同じ地点ではありません。
(ストリートビューの地点は、写真で自転車道を歩いている人の手前辺りだと思われます。)
左を走る道道は拡幅され路盤も切り下げられているようで、廃線跡より1段高いところを走っていたのが、廃線跡と同レベルになっていますね。
グーグルマップを見ると、セイコーマートの建物のすぐ左側が廃線跡のようです。
この廃線跡は、1990年まで0.8km先の旧夕張市民会館のところに夕張駅があったものの路線を短縮したためにできたものです。
もともとは、観光開発のために新駅をホテルマウントレースイ前に造りたかったものの、駅間距離が短いことと勾配の問題で中間駅として造ることができずにやむなく路線短縮という形を採ったようですが、このホテルマウントレースイ前の駅は実は3代目の駅で、さらに遡ると1985年にも路線を1.3km短縮して夕張駅を移転しています。
初代の夕張駅は旅客輸送よりも炭鉱からの石炭輸送に都合の良い場所であったため、炭鉱の閉山とともに中心部に駅を移転したという経緯だそうです。
わずか5年ほどで2度にわたり2.2kmも路線が短縮されてしまいました。
そして、縮小を繰り返した末に路線自体が廃止になることになってしまいました。

4/1から夕張市の玄関口となる新夕張駅です。
盛土の上に線路があるため、まるで高架駅のように見えます。
廃止に備えて、JR北海道が改修してバスが駅前広場に乗り入れできるようになったそうです。

石勝線開通以前の新夕張駅は、「紅葉山駅」という支線化される前の夕張線の中間駅でしたが、石勝線として高規格化された際に北側に移転した際に改称しました。
駅前には、紅葉山駅時代の駅名標が残っていました。
今でも残っているようですが、塗り替えられた際に字体が変わってしまったようで、昔のままの趣は残っていないようですね。
民営化後のJR北海道は、初期に数路線が廃止になった後は路線網を維持し続けてきましたが、江差線の木古内~江差間、留萌本線の留萌~増毛間が廃止になり、今回は夕張支線が廃止になりました。
今のJR北海道の経営状況では、このまま支線どころか本線も次々と廃止になってしまいそうです。
しかし、北海道庁や道内市町村は継続的な補助をするつもりが今のところないので、我慢比べのようになっています。
これが国鉄分割民営化の弊害だという人が増えていますが、私はそうは思いません。
むしろ分割民営化後30年近く路線網を維持し続けてこられたのは、分割民営化のおかげだと思います。
北海道内がJR東日本の一路線だったら、北海道内の特急の高速化は進まなかったのではないでしょうか?
(後に事故の多発で減速する羽目に陥りましたが…)
あるいは四国や九州がJR西日本の一部だったら、新車の投入は進まず関西圏のお古が回されていたのではないでしょうか?
一方、JR東日本も西日本も路線の廃止(岩泉線や三江線など)を行っていますから、JR北海道だから廃止されているわけでもありません。
何しろ、30年前と違って地方の過疎化が著しく、通勤通学輸送も都市間輸送も貨物輸送も担っていないローカル線の赤字額は大きくなる一方です。
かといって、広域の輸送を担わない鉄道を国費で維持するのも理屈が成り立たず、まずは地域で負担することが求められると思います。
そのうえで国費を入れることもあり得ると思いますが、補助金が国費だけということはありえないと思います。
新しい北海道知事がどんな判断をするのか、今までのようにひたすら国にお願いするだけなのか、注目されますね。
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Posted by Science_City at 05:28│Comments(0)│北海道
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