2015年06月15日
市ヶ谷→秋葉原ぶら歩き(3)水道橋と神田上水!
ちょっと間が空いてしまいました。
市ヶ谷から秋葉原までのブラ歩きのお話の続きです。
【これまでの記事】

「水道橋」という地名は駅の名前という印象が強すぎて、橋の名前であることを意識していませんでしたが、やはり神田川にかかる橋です。
市ヶ谷から秋葉原までのブラ歩きのお話の続きです。
【これまでの記事】
2015/05/29
2015/06/02
「水道橋」という地名は駅の名前という印象が強すぎて、橋の名前であることを意識していませんでしたが、やはり神田川にかかる橋です。
この辺りの神田川は、深い谷になっていますが、これは江戸時代に掘られた人工の川の部分というのが驚きです。
昔の神田川は、「平川」と呼ばれ、飯田橋で首都高とともに分岐していく日本橋川の方が以前の流れで、そこから東は人工の川だそうです。
中央線に乗ると、お茶の水から水道橋にかけては、かなりの深さの渓谷を流れている神田川が、まさか人工の堀には見えないですね。
江戸時代の土木技術は結構ハイレベルだったことがわかります。

「水道橋」は駅の東口脇にかかる橋の名前です。
この橋も、飯田橋などと同じように、橋の長さと幅が大して変わらない橋です。

「水道橋」の橋詰の欄干に、橋の名の由来が書かれた青銅製のプレートが取り付けられています。
「水道橋の名は、江戸名所図会によれば、この橋の少し下流にかけ樋があったことに由来します。」
と書かれています。
「かけ樋」って何でしょうね?

橋詰には小さな公園のようなスペースがあり、そこに「神田上水」の案内板が立っています。
案内板には、
「神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道です。文京区関口に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園の中をぬけ、水道橋の東側で神田川を掛樋でわたし神田・日本橋方面に給水されていました。」
と書かれています。
おー、ここで「掛樋」(かけ樋)という言葉が出てきました。
つまり、水道のための橋が神田川にかかっていたから「水道橋」という名前が生まれたわけですね。
「玉川上水」は知っていましたが、「神田上水」は初めて知りました。
文京区関口という地名は、まさに堰(字が違うが似た意味ですね)の口があったから付けられた名前だったとは!
それから、小石川後楽園の池の水はこの神田上水の水だったんですね。
玉川上水よりも前に、江戸には上水道があったとは…。
江戸はかなり先進的な都市だったんですね。

神田上水の案内板から、神田川沿いにお茶の水方向に少し歩くと、また別の碑があります。
「神田川分水路事業 お茶の水分水路」と書かれています。
ちょうどこの碑の下あたりの神田川の側面にお茶の水分水路の呑口(入口)があります。
お茶の水分水路は、神田川の洪水対策として整備された川のバイパスです。
ボートで通ったりすることもできるようですね。
(分水路をボートで通過した方のブログ → リンク)
1度通ってみたいものです。

神田川と外堀通りを挟んで反対側には、近代的な「都立工芸高等学校」の校舎が建っています。
結構有名な人がこの高校を卒業しているようですね。
すごく立派な施設で勉強できてうらやましい。

さらに少し歩くと、水道橋の名前の由来となった、神田上水懸樋(掛樋)の跡の碑がありました!
ここに、神田上水の水が通る木の橋が架かっていたんですね!
なお、この位置に掛け樋が架かる以前には、今の水道橋の脇に樋が渡されていた可能性があるそうです。
(参考:「谷端川の跡を歩く」)

今は、JR中央線の法面は耐震補強工事の真っ最中です。
ちょうど「スーパーあずさ」が中央線を通過していきました。
中央線から眺める神田川の風景は結構好きですが、自然の風景として見ていたものが実は江戸時代の土木技術力の粋を集めた風景だとは興味深いですね。
((4)につづく)
昔の神田川は、「平川」と呼ばれ、飯田橋で首都高とともに分岐していく日本橋川の方が以前の流れで、そこから東は人工の川だそうです。
中央線に乗ると、お茶の水から水道橋にかけては、かなりの深さの渓谷を流れている神田川が、まさか人工の堀には見えないですね。
江戸時代の土木技術は結構ハイレベルだったことがわかります。
「水道橋」は駅の東口脇にかかる橋の名前です。
この橋も、飯田橋などと同じように、橋の長さと幅が大して変わらない橋です。
「水道橋」の橋詰の欄干に、橋の名の由来が書かれた青銅製のプレートが取り付けられています。
「水道橋の名は、江戸名所図会によれば、この橋の少し下流にかけ樋があったことに由来します。」
と書かれています。
「かけ樋」って何でしょうね?
橋詰には小さな公園のようなスペースがあり、そこに「神田上水」の案内板が立っています。
案内板には、
「神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道です。文京区関口に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園の中をぬけ、水道橋の東側で神田川を掛樋でわたし神田・日本橋方面に給水されていました。」
と書かれています。
おー、ここで「掛樋」(かけ樋)という言葉が出てきました。
つまり、水道のための橋が神田川にかかっていたから「水道橋」という名前が生まれたわけですね。
「玉川上水」は知っていましたが、「神田上水」は初めて知りました。
文京区関口という地名は、まさに堰(字が違うが似た意味ですね)の口があったから付けられた名前だったとは!
それから、小石川後楽園の池の水はこの神田上水の水だったんですね。
玉川上水よりも前に、江戸には上水道があったとは…。
江戸はかなり先進的な都市だったんですね。
神田上水の案内板から、神田川沿いにお茶の水方向に少し歩くと、また別の碑があります。
「神田川分水路事業 お茶の水分水路」と書かれています。
ちょうどこの碑の下あたりの神田川の側面にお茶の水分水路の呑口(入口)があります。
お茶の水分水路は、神田川の洪水対策として整備された川のバイパスです。
ボートで通ったりすることもできるようですね。
(分水路をボートで通過した方のブログ → リンク)
1度通ってみたいものです。
神田川と外堀通りを挟んで反対側には、近代的な「都立工芸高等学校」の校舎が建っています。
結構有名な人がこの高校を卒業しているようですね。
すごく立派な施設で勉強できてうらやましい。
さらに少し歩くと、水道橋の名前の由来となった、神田上水懸樋(掛樋)の跡の碑がありました!
ここに、神田上水の水が通る木の橋が架かっていたんですね!
なお、この位置に掛け樋が架かる以前には、今の水道橋の脇に樋が渡されていた可能性があるそうです。
(参考:「谷端川の跡を歩く」)
今は、JR中央線の法面は耐震補強工事の真っ最中です。
ちょうど「スーパーあずさ」が中央線を通過していきました。
中央線から眺める神田川の風景は結構好きですが、自然の風景として見ていたものが実は江戸時代の土木技術力の粋を集めた風景だとは興味深いですね。
((4)につづく)
お茶の水橋の舗装の下に埋まっていた都電の線路跡を見てきた!
2020年新春、葛西臨海水族園に行ってきた!
レインボーブリッジを歩いて渡ってみた!
高輪ゲートウェイの下をくぐる低すぎるガード「高輪橋架道橋」をくぐってみた!
お台場フジテレビの球体展望室「はちたま」から夕焼けに浮かぶ富士山を眺める!
秋葉原の中華そば「田中そば店」に行ってきた!
2020年新春、葛西臨海水族園に行ってきた!
レインボーブリッジを歩いて渡ってみた!
高輪ゲートウェイの下をくぐる低すぎるガード「高輪橋架道橋」をくぐってみた!
お台場フジテレビの球体展望室「はちたま」から夕焼けに浮かぶ富士山を眺める!
秋葉原の中華そば「田中そば店」に行ってきた!
Posted by Science_City at 01:25│Comments(0)│東京
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