2015年03月11日
あの日から、もう4年…。
東日本大震災から今日で4年になります。
つくば市内でも被害はありましたし、私自身は帰宅難民になり、家族と再会するまで丸1日を要しました。
停電、断水、放射性物質の飛来…。
いろいろあって自分たちの身の回りのことをしているうちに、東北地方の支援ができないまま時が過ぎてしまいました。
今思えば、東北に行って震災ボランティアをするべきだったと悔やまれてなりません。
今、自分にできることは多くはありませんが、あの日を忘れずにいることは大事だと思っています。
今回は、かなり古いですが1年前に見た気仙沼の光景を紹介したいと思います。

昨年2月に仕事で気仙沼方面に行く機会があり、被災地をこの目でしっかり見るべきだと思って、早めに現地入りして気仙沼駅から気仙沼線BRTに乗りました。
下車地に選んだのは、陸前小泉駅です。
津波でできた更地の間を走り抜けるせいで埃まみれになっているBRT車両を見送りました。
つくば市内でも被害はありましたし、私自身は帰宅難民になり、家族と再会するまで丸1日を要しました。
停電、断水、放射性物質の飛来…。
いろいろあって自分たちの身の回りのことをしているうちに、東北地方の支援ができないまま時が過ぎてしまいました。
今思えば、東北に行って震災ボランティアをするべきだったと悔やまれてなりません。
今、自分にできることは多くはありませんが、あの日を忘れずにいることは大事だと思っています。
今回は、かなり古いですが1年前に見た気仙沼の光景を紹介したいと思います。
昨年2月に仕事で気仙沼方面に行く機会があり、被災地をこの目でしっかり見るべきだと思って、早めに現地入りして気仙沼駅から気仙沼線BRTに乗りました。
下車地に選んだのは、陸前小泉駅です。
津波でできた更地の間を走り抜けるせいで埃まみれになっているBRT車両を見送りました。
気仙沼線BRTは、鉄道のJR気仙沼線の代わりの位置づけで、バス停といっても駅のような扱いになっています。
バス停の周りには何も建物が無く、更地が広がっています。
一帯が津波で壊滅的被害を受けたのでしょう。
バス停の脇には、高架橋と崩れた盛土が見えます。
崩れた盛土に上ると、かつては駅のホームであっただろう、コンクリートと鉄の残骸が転がっていて、その脇にレールが盛土からずり落ちたままになっています。
ここが陸前小泉駅の跡です。
左手は震災前は陸地でしたが、震災後は沈降したのか干潟のようになっていました。
ホームの残骸の向こうに見える盛土はほぼ完全に津波で崩され、原形を留めていません。
その奥にぽっかりとトンネルの坑口が見えていますが、トンネルが見えなければ、現在地と坑口の間を線路が結んでいたと想像がつきません。
トンネルまで津波が押し寄せたらしく、周りの森も手前が削られ、土の部分が露出しています。
津谷川の支流を渡る気仙沼線の橋は一部の桁が流されていました。
橋脚に点検用の足場として取り付けられていた鋼材は、飴のように津波の威力によって曲げられていました。
写真の奥が太平洋です。
4年前のあの日、海面が10m以上も盛り上がってこちらの陸地を襲ったのだということは、理屈の上ではわかるのですが、青空のもと穏やかに広がる海を見ても、まったく実感が湧きません。
震災から3年が経ったにもかかわらず、がれきが片づけられ、一部で整地のかさ上げ工事が始まったくらいしか変化が無い状況に、何とも言えないもどかしさを感じました。
山の方に視線をやると、津波がどこまで到達したかが一目瞭然でした。
あれほど遠くまで、あれほど高いところまで津波が達するということが現実的にあり得るのだという事実に、戦慄を覚えます。
その先、気仙沼線が津谷川を渡っていた地点では、橋脚が津波になぎ倒されたまま無残な姿をさらしていました。
下流方向から津波によって押し曲げられて、橋脚が倒壊しています。
地震の揺れで倒壊した場合とも違い、このような壊れ方は初めて見ました。
気仙沼線BRTは、かつての線路敷きを舗装した専用道路を走る区間もありますが、陸前小泉駅の前後はこのように壊滅的被害を受けたため、一般道を走っています。
震災前のストリートビューを見ると、左手の陸前小泉駅と、右手のバス停がある国道の間には、製材所のような建物が見えます。
でも、今はただの空地。空間が広がっているだけです。
3年経っても、この辺りは復興という言葉には程遠い状況でした。
乗用車と同じくらいの頻度でダンプトラックが走る国道をBRTが30分~1時間に1本程度走っています。
震災前は1日片道10本程度の列車が走るだけでしたから、本数はすごく多くなって便利になったと思います。
でも、お客さん4、5人くらいでした。
帰りのバスの車窓から、途切れ途切れになった線路跡地を見ながら、次に来る時には復興しているだろうかと考えていました。
15年ほど前に1度だけJR気仙沼線には乗ったことがありますが、その時の記憶はあまり残っていません。
たぶん、この日と同じように穏やかな海が続いていて、ウトウトしながら列車に揺られていたのではないかと思います。
4年前の大津波さえなければ、きっと今も15年前とあまり変わらない風景が続いていたのでしょう。
大災害のおそろしさを間接的にではありますが、実感しました。
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Posted by Science_City at 07:55│Comments(0)│東北
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