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ちょっと更新が滞ってしまいました。
別館の「研究学園の旅人」の方は、のんびりと更新していきたいと思います。

さて、今回は昨年(2014年)4月1日に廃止されてしまったJR東日本岩泉線を取り上げたいと思います。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

訪問したのは、2002年11月です。
写真のJR山田線の茂市駅が起点でした。
2002年秋 ありし日の岩泉線!

茂市駅は、山間の小さな分岐駅です。
こんな静かなこじんまりとした始発駅は少ないと思います。

強いて言えば似た雰囲気の駅としては、木次線の分岐駅である備後落合駅が挙げられるでしょうか。
それでも跨線橋がある分、立派な駅に見えますね。

当時は、まだJR化以降の車両は入っておらず、旧型のキハ52型が走っていました。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

小さな分岐駅ですが、列車運転関係の作業があるためか、有人駅で切符も売っていました。
岩泉線部分が経路外になるので、岩泉までの切符を買いました。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

山間の茂市駅から、さらに山の中に分け入っていく感じで、刈屋川という小さな川が造った谷沿いを進みます。
少しまとまった集落があるとそこに駅がある、という状況が岩手和井内駅まで続きます。
並行する国道340号は、センターラインすらないような区間がかなり残っている名ばかりの国道です。
あまりに貧弱なので岩泉線を廃止しても代替バスが走れないという理由で、岩泉線は廃止を免れていました。

季節はちょうど紅葉のシーズンだったので、山が色づいていてきれいでした。
岩手和井内を過ぎると、本格的に山の中に入ります。

トンネルを抜けても相変わらず山の中。
やっと集落らしきところに出てくると、浅内駅です。
ここからは、1972年に開通した新しい区間になるので、それまで遠慮して川沿いを走っていたルートが、地形よりも線形を優先したルートになり、川を何度も橋で渡ります。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

今までで1番大きな町が見えてきたと思ったら、終点の岩泉駅に到着です。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

既にこの時点でキハ52のような国鉄型ディーゼルカーは貴重な存在になりつつありました。
でも、座席のモケットも取り替えられていて、乗り心地は悪くなかったです。
こういう車両だと、旅をしている実感が湧きますね。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

岩泉駅は、駅舎に観光協会などが入居しているためか、2階建ての立派な建物でした。(そのおかげで廃線後も駅舎が残されているようです。)
駅舎には、「乗って守ろうみんなの岩泉線」という横断幕が貼り出されていました。
でも、こういう呼びかけだけで路線が守ることは難しいですし、本気で残そうと思ったら並大抵の努力では難しいだろうという感じでした。

そういえば、可部線の可部~三段峡も同じような状況でしたね。
【可部線の記事】


2002年秋 ありし日の岩泉線!

岩泉まで来る列車は、わずか3往復しかありませんでした。
(他に、岩手和井内折り返しが1往復あったと思います。)

岩泉町で最も有名な観光地「龍泉洞」に行くために岩泉線を利用しようと思っても、朝1番の列車では早すぎますし、夕方の列車では遅すぎるので、そもそも地元の通学客以外はほとんど利用ができないダイヤでした。
観光客の大部分は自家用車や観光バスでしょうし、数少ない公共交通機関を利用する客も、JRバスの盛岡~龍泉洞前のバスを利用していたのだと思います。

この時に乗った列車は岩泉駅16時23分着の通学客をターゲットにしていると思われる列車でしたが、数人の高校生のほかはお客さんはいなかったように記憶しています。

折り返しまで1時間ほどあったので、駅前をウロウロしました。
岩泉駅は、小本川を挟んだ町外れにあって駅前は店もほとんどなく、静かな駅前でした。
駅前の通りを進んで岩泉橋で小本川を渡ると、まとまった街並みが広がっていました。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

駅前を通るバスの方は列車よりも本数が多いのですが、なぜかこの列車に接続するバスはありませんでした。
(15分遅くすれば接続できるのですが…。)
今では、JRバス東北の路線バスは盛岡~龍泉洞前の路線以外は廃止になり、岩泉営業所もなくなったそうです。

2002年秋 ありし日の岩泉線!

夕闇の中を再び来た道を戻る形で、茂市まで戻りました。
ほんの数人が跨線橋を渡り、宮古行きの列車に乗り換えました。

岩泉線は、ほぼ1年前に正式に廃止になりましたが、実質的には5年前の2010年7月に土砂崩れによる列車脱線事故が発生して以来、ずっと運休になっていました。
JR東日本も、1日3往復しかない日本一(輸送密度の低い)のローカル線に、復旧と防災のための投資をすることが民間会社としては難しかったのでしょう。

旅好きとしては是非残して欲しい路線の1つでした。
同じように災害で運休が続く只見線も、同じような運命をたどるのではないかと心配です。





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Posted by Science_City at 23:29│Comments(0)東北
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