2015年07月10日
市ヶ谷→秋葉原ぶら歩き(5)湯島聖堂は孔子廟だったのか!
最近忙しくブログ本館「研究学園の生活」の更新頻度が落ちてきて、別館「研究学園の旅人」も行方知れずになっておりましたが、久々の更新です。
【これまでの市ケ谷→秋葉原ぶら歩きシリーズ】
たぶん、今回と次回で完結すると思います。

前回、聖橋をくぐって御茶ノ水駅を過ぎましたが、その先には秋葉原駅につながる総武線の鉄橋が見えています。
もう鉄橋を左手に進めば秋葉原駅が近いのですが、真っ直ぐ秋葉原駅に向かうのもつまらないと思っていたのと、子どもがトイレに行きたいと言いだしたので、ちょっと引き返して「湯島聖堂」に向かいました。

入口は和風というか古風な入口で、敷地内にある門は中華風でした。
洋風な建物をイメージしていたのに、何かイメージと違うなと思ったら、私は「湯島聖堂」と「ニコライ堂」を混同していたようです。
【これまでの市ケ谷→秋葉原ぶら歩きシリーズ】
2015/05/29
2015/06/02
2015/06/15
2015/06/22
たぶん、今回と次回で完結すると思います。
前回、聖橋をくぐって御茶ノ水駅を過ぎましたが、その先には秋葉原駅につながる総武線の鉄橋が見えています。
もう鉄橋を左手に進めば秋葉原駅が近いのですが、真っ直ぐ秋葉原駅に向かうのもつまらないと思っていたのと、子どもがトイレに行きたいと言いだしたので、ちょっと引き返して「湯島聖堂」に向かいました。
入口は和風というか古風な入口で、敷地内にある門は中華風でした。
洋風な建物をイメージしていたのに、何かイメージと違うなと思ったら、私は「湯島聖堂」と「ニコライ堂」を混同していたようです。
ニコライ堂は、シリーズ4回目にも書きましたが聖橋の向こう(南)側にあり、北側の湯島聖堂との間に架かる橋であることから、「聖橋」と名付けられたそうです。
しかし、私の中では湯島聖堂の傍にあるから「聖橋」で、聖堂とはニコライ堂のことと思い込んでいました。
ニコライ堂の方は、正式には「東京復活大聖堂教会」という名前で、ギリシャ正教会の教会だったんですね~。
(お恥ずかしい限り…)

さて、こちらの「湯島聖堂」とは何かですが、調べてみると何と徳川5代将軍綱吉が儒学の振興を図るために創建したのだそうです!
かなり歴史は古いのですね~。
江戸時代は「昌平坂学問所」という幕府直轄の学校として、明治維新後は日本初の博物館(現在の「東京国立博物館」)、日本初の図書館が置かれ、その後筑波大学やお茶の水女子大の源流となる師範学校も置かれたのだそうです!
まさに、日本の学問の聖地ですね。
しかし、関東大震災でほとんどを焼失し、現在の建物は再建された鉄筋コンクリートの建物だそうです。
…とはいっても、昭和10年の建築ですから、これはこれで貴重な築80年の鉄筋コンクリートの建造物です。
(参考:湯島聖堂ウェブサイト)

史跡であることを示す石碑です。
でも、これを見ると指定が大正11年になっています。
つまり、関東大震災で焼失する前の指定ですね。
ほとんどの建物が再建されたものですが、やむを得ない変更ということで史跡指定は解除されなかったのでしょうか。

こちらは、1975年に台北市のライオンズクラブから贈られたという孔子の銅像です。
孔子の銅像としては世界最大だそうです。
今の中国だったら、対抗してもっと大きい像を造りそうですが…。

こちらは関東大震災でも奇跡的に焼失を免れた「入徳門」です。
そのため、聖堂内で唯一の木造建築物で、築300年を超えます。

石段を上がると、「杏壇門」です。
この石段を上がった先にあるというのが、何やら権威を感じさせますね。
周囲は中国人観光客ばかりで、日本人はあまり見かけませんでした。
自撮りに苦労していたので、シャッターを押してあげました。

こちらが孔子を祀っている大成殿で、相当大きく感じます。
周囲を回廊で囲われているせいか、なおさらそう感じます。
沖縄の首里城もこんな感じですね。
あちらは明るい朱色ですが、やはり中国の影響が大きいのですね。
ちなみに、この大成殿を再建したのは、残念ながら大成建設ではなく大林組です。
(だから何?と聞かないでください…)
湯島聖堂のことは名前しか聞いたことがありませんでしたが、意外と落ち着ける良いところでした。
(ニコライ堂とごっちゃになっていたくらいですからね…)
((6)につづく)
↑おそらく最終回
しかし、私の中では湯島聖堂の傍にあるから「聖橋」で、聖堂とはニコライ堂のことと思い込んでいました。
ニコライ堂の方は、正式には「東京復活大聖堂教会」という名前で、ギリシャ正教会の教会だったんですね~。
(お恥ずかしい限り…)
さて、こちらの「湯島聖堂」とは何かですが、調べてみると何と徳川5代将軍綱吉が儒学の振興を図るために創建したのだそうです!
かなり歴史は古いのですね~。
江戸時代は「昌平坂学問所」という幕府直轄の学校として、明治維新後は日本初の博物館(現在の「東京国立博物館」)、日本初の図書館が置かれ、その後筑波大学やお茶の水女子大の源流となる師範学校も置かれたのだそうです!
まさに、日本の学問の聖地ですね。
しかし、関東大震災でほとんどを焼失し、現在の建物は再建された鉄筋コンクリートの建物だそうです。
…とはいっても、昭和10年の建築ですから、これはこれで貴重な築80年の鉄筋コンクリートの建造物です。
(参考:湯島聖堂ウェブサイト)
史跡であることを示す石碑です。
でも、これを見ると指定が大正11年になっています。
つまり、関東大震災で焼失する前の指定ですね。
ほとんどの建物が再建されたものですが、やむを得ない変更ということで史跡指定は解除されなかったのでしょうか。
こちらは、1975年に台北市のライオンズクラブから贈られたという孔子の銅像です。
孔子の銅像としては世界最大だそうです。
今の中国だったら、対抗してもっと大きい像を造りそうですが…。
こちらは関東大震災でも奇跡的に焼失を免れた「入徳門」です。
そのため、聖堂内で唯一の木造建築物で、築300年を超えます。
石段を上がると、「杏壇門」です。
この石段を上がった先にあるというのが、何やら権威を感じさせますね。
周囲は中国人観光客ばかりで、日本人はあまり見かけませんでした。
自撮りに苦労していたので、シャッターを押してあげました。
こちらが孔子を祀っている大成殿で、相当大きく感じます。
周囲を回廊で囲われているせいか、なおさらそう感じます。
沖縄の首里城もこんな感じですね。
あちらは明るい朱色ですが、やはり中国の影響が大きいのですね。
ちなみに、この大成殿を再建したのは、残念ながら大成建設ではなく大林組です。
(だから何?と聞かないでください…)
湯島聖堂のことは名前しか聞いたことがありませんでしたが、意外と落ち着ける良いところでした。
(ニコライ堂とごっちゃになっていたくらいですからね…)
((6)につづく)
↑おそらく最終回
お茶の水橋の舗装の下に埋まっていた都電の線路跡を見てきた!
2020年新春、葛西臨海水族園に行ってきた!
レインボーブリッジを歩いて渡ってみた!
高輪ゲートウェイの下をくぐる低すぎるガード「高輪橋架道橋」をくぐってみた!
お台場フジテレビの球体展望室「はちたま」から夕焼けに浮かぶ富士山を眺める!
秋葉原の中華そば「田中そば店」に行ってきた!
2020年新春、葛西臨海水族園に行ってきた!
レインボーブリッジを歩いて渡ってみた!
高輪ゲートウェイの下をくぐる低すぎるガード「高輪橋架道橋」をくぐってみた!
お台場フジテレビの球体展望室「はちたま」から夕焼けに浮かぶ富士山を眺める!
秋葉原の中華そば「田中そば店」に行ってきた!
Posted by Science_City at 08:07│Comments(2)│東京
この記事へのコメント
つくばちゃんねるさん、こんにちは!
御茶ノ水で働いていたことがあるんですね!
あの辺り、歩くとなかなか楽しい街でした。
散歩しながらパシャパシャ写真を撮って、帰ってからいろいろ調べると、2度楽しめます。
ブログに調べた結果を書いて、コメントをいただけると3度楽しむことができますね。
さて、「聖堂」という言葉には洋風な響きがあったので、まさか孔子廟のことを指しているとは思っていませんでした…。
今度はニコライ堂をまじまじと見てみたいです。
御茶ノ水で働いていたことがあるんですね!
あの辺り、歩くとなかなか楽しい街でした。
散歩しながらパシャパシャ写真を撮って、帰ってからいろいろ調べると、2度楽しめます。
ブログに調べた結果を書いて、コメントをいただけると3度楽しむことができますね。
さて、「聖堂」という言葉には洋風な響きがあったので、まさか孔子廟のことを指しているとは思っていませんでした…。
今度はニコライ堂をまじまじと見てみたいです。
Posted by Science_City
at 2015年07月15日 00:00

いつもお勉強になります!
御茶ノ水で働いていた時、よく歩いて神田や秋葉原に行ったなぁ…
なんて思い出しつつ読んでいて☺
私もニコライ堂とごっちゃになっていることが判明しました(笑)
御茶ノ水で働いていた時、よく歩いて神田や秋葉原に行ったなぁ…
なんて思い出しつつ読んでいて☺
私もニコライ堂とごっちゃになっていることが判明しました(笑)
Posted by つくばちゃんねる at 2015年07月10日 09:46
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